暴力が教育やスポーツなどの指導に役立つとは思えない

教育者や指導者による体罰のニュースが時々話題になります。名前を出さないが、最近ではある音楽家が演奏中の中学生に暴力を振るったことがニュースになっています。

子供の経験

僕自身の子供時代、体罰と言えるほどのことを受けた記憶はない。昭和時代を過ごした子供だったが体罰が横行していたという記憶もない。

平成生まれの僕の子供は、一度だけだと思うが、高校生時代に部活の顧問から暴力を振るわれた事がある。どのような理由だったのか忘れたが、好きでやっているスポーツなので、それほど大それた事をした訳ではなかった思う。

この時、子供が帰宅して最初に発した言葉が「もう部活辞める!」であった。それまでは機嫌良くやっていたので、「何事か?」と思ったが、頬に平手打ちをくらい、やる気を無くしてしまったのである。

僕自身、この時に感じたのが「体罰って、しょせんその程度のものなんだな。」ということでした。体罰をする側は他の手段が無かったのかどうだが知らないが受けた側が後ろ向きになってしまうようでは全く意味が無い。

体罰をする側はどんな思いでやっているのかわからないが、受け側が肯定的に捉えていることなどないだろう。中には肯定的に捉えている人もいるようだが、それは単なる思い込みだろう。時が経てば体罰に意味はないと理解できる日が来るかもしれない。

大人が他人を殴るなんて簡単に出来ない

僕は、成人になってから人を殴った事は無い。体罰と称して平手打ちを喰らわすとしたって、大抵の人がそんな簡単に手を上げる事は出来ないだろう。体罰をする人だって最初に殴ったときは、随分抵抗があったのではなかろうか?もし、そうでなければ元々そのような気質があるのかもしれない。

体罰肯定派の方にしても、もし自分が体罰をする側の立場になれば、簡単に人を殴ることなど出来ないのではないでしょうか。

某音楽家のビンタニュースを目にして最初に「ああ、この人は日頃からこんなことをしているのだろうな。」と思った。

そもそも体罰と言ったって、単なる暴力なんだから犯罪行為に違いない。いい大人が他人を殴れるわけがないのである。常識的にはね。

体罰を受ける側の気持ち

体罰を受けた側の気持ち。僕もそれほどわかるわけではないが、殆どの人が否定的な気持ちになるだろうと想像できる。僕の子供のように。

仮に仕事で失敗したとして、上司から体罰を受けたとする。それを容認できますか?できる人は殆どいないでしょう。中には「失敗した自分が悪いから仕方がない。」と感じてしまう人もいるかもしれませんが、全てがその人の責任とは限らない。

自分が受けたくない体罰を他人に出来るわけないですね。体罰をしている人や容認派は、自分が失敗などをした時、体罰を受けても良いという考えなのだろうか?恐らくそんな訳ないと思うのだが??

まとめ

  • 体罰は単なる暴力である。
  • 体罰により、改善されることはない。
  • 体罰を受けたい人などいない。

ちなみに体罰を受けた我が子はその後、部活を辞めることもなく、顧問とも表向きは悪い関係にならなかった。しかし、理不尽な思いをした事は心の中に残っているだろう。そして、大人社会に対する不信感をその時に感じたのではないだろうか。

あと、ついでに言っておくと「罰として走らせる。」なんていうのも止めておいたら!立派な虐待ではないでしょうか。僕は1時間くらいなら走ってもええけど。(朝ランを継続しているから大丈夫!ってか、罰にならん。)